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どんなにオシャレに無頓着な中年でも絶対にやってはいけない普段着の着こなし方ー背広の後に着るもの

「ズボンの極意」

 およそ男の服飾で最も肝心なのはズボンである。昨今ではパンツとか呼んでいるが、なにズボンで充分である。トラウザーズなんて呼び名もあるけど、気取ってて嫌味だね。
 このズボンをちゃんと穿きこなせたら、まず男の服飾の半分は出来上がったも同然なのだ。それほど重要であり、だから細心の注意を払う必要がある。
 諸君、考えてみてくれ、上着のない男の姿は普通にあり得るだろう。シャツがなくても下着のTシャツだけというのが、あるからね。たとえばこれはカジュアル、すなわち綿パンやジーンズの場合である。
 ところが、ズボンのない男の姿というのは、ありえない。シャツを着て下にはブリーフだけ、というのは間男(まおとこ)がバレて、慌てて外へ飛び出したという格好である。まことに間の抜けたものだ。
 要するに世間では、ズボンのない男の姿というのはあり得ない。通用しないのだ。さよう、男というのは必ずズボンを穿いているものなのだ。
 だから大事なのである。
 で、ここで強調しておきたいのは、サラリーマンの常用していた背広というのは、当然のことながら上着とズボンから成っていたということ。両社はセットで、それをシャツとネクタイが繋いでいる、という格好だった。
 そしてこの上着とズボンという組み合わせ、まことに男の肉体を立派に見せてくれるものであったことに留意してほしい。すなわち男性の肉体の最大のポイントであり、一種の締めくくりであった腰の部分を、上着が巧みに隠し、下からズボンが何事もなかったかのように、スルリと支えている。そういう寸法だったのだ、ということを。
 すなわち男の身体のポイント、それは腰であり、そこには美点も弱点も現れ、まことに饒舌に披露してしまうものであった。そのポイントを、背広なるものは上着によってズボンとセットで、上手いことカモフラージュしていたのである。それが背広の正体であり、今日なお世界中の人々がこれを男性の正式ファッションとして認めている理由なのである。
 要するに背広を着てさえいれば、男は何とかなるのですね。
 それが定年によって着られなくなってしまうのだ。定年過ぎて背広を着ている人は、人に変わり者と指さされるだろう。それは背広が会社や組織における制服だったからで、それらを離れてなお着用に及ぶということは、世を欺くことになるからだ。定年ということの持つ最大の意味は、このように、背広が着られなくなってしまう、というところにあった。定年の正体とは、まさにこれなのだ。
 そしてここに及んで、背広自体の持つ効用というものが登場する。
 嫌で仕方がなかった人もいるかもしれないが、実は背広は見事に男の身体の重要な部分を覆い隠すものだった。そしてそれは多少ズボンがいい加減でも、何とかしてくれた。まことに世の中は不思議な仕組みで満ち溢れている、と言わねばなるまい。
 そしてズボンが重要な存在であることに気づくのが定年になってからだなんて、神様も意地が悪いよ、と思っていただきたい。
 だから定年で問題なのは、そういう万能のような背広を着られなくなって、何かそれに代わるものを見つけなくてはならない、ということなのである、こいつは大変だよね。なにしろ背広がそんなに大変な代物だとは思っていなかったのだから。
 世の中には、この背広のように、使用する機会を失うことによって初めてその偉大さ、有難さが身に染みるものがあるが、ここでそれをどうこう言ってみても始まるまい。とにかく確かなのは、定年によって背広を着る機会はなくなってしまうということなのだ。
 しかしそう悲観してばかりもいられない。ここでズボンの要諦について記す。
 それも単なる概論としてではなく、実際の要に供するものとして、である。
 まずズボンの種類について。大雑把に分けてウールすなわち高級品と、コットンつまり普段に使用する綿のもの、そしてジーンズ、この三種類とする。この他には、例えばタキシードのズボンのようなものがあるが、それはタキシードの場面で説明する。
 定年後の生活で背広以外のズボンと言うなら以上三種類で事足れるだろう。
 それではズボンの実際とは。
 それを語る前にまず、これはズボンに限らないのだが、自分のサイズをきっちり把握する必要があることを強調したい。
 ここでサイズとは、すなわちウェストのサイズ、それと股下のサイズである。
言い切ってしまうなら、この二つを正確に知り、それに合うズボンを選べば、問題は解決するのである。簡単なことなのだ。だが、それがそう単純ではないところに、問題の核が潜んでいる。随分に大げさな物言いになってしまったが、これは仕方がない。
 まずウェストだが、臍の少し下を計測する。よく腹を引っ込めて測る人がいるが、これは身のためにならない。正しくないからで、正しくないサイズで選ぶズボンは従って正しくないズボンということになる。例え到達目標としての数値であっても、到達していなければ、それは文字通り絵に描いた餅である。
 そしてもう一つ、股下。足首から陰部に至るサイズである。これも正しくなければサイズの合わないズボンを穿くことになる。ジーンズだけは普段の股下サイズとは異なる数値が必要だが、これは逆に言うとジーンズは別サイズと覚えておく。普通のズボンとは別の代物なのだ。それはとにかくズボンを選ぶ場合は以上のサイズを基本にして選び、股下の寸法直しの際、それを告げる。
 後に述べるように、メーカーやブランドによって製品のサイズは、実際に示されているものと微妙に異なる。だから本当は、店でズボンを買い求めるたびに、改めてサイズを測ってもらうのがよい。それを続けるうちに自分のサイズの確定値がわかるだろう。
 さて実際に店に行って、ズボン選びを行ってみよう。
 まずはコットン・パンツ。綿のパンツである。当然ながら今日まで一本も綿パンを穿いたことのない人、持っていない男というのは珍しいだろう。誰だってコットン・パンツの一本くらいは持っているものである。
 で、どうしています、その綿パン。滅多に穿かないでしょう。だって、どうも、似合わないから。おそらく奥方が近所のスーパーで、股下とウェストだけを頼りに買い求め、はいこれよ、と渡されたのでは。
 そうなのだ。綿パンはそのように買い求められ、なんだか俺に似合わないな、と思う男たちをこれまで大勢生んで来たのである。
 これをマッカーサーの呪い、と呼ぶ。(ホントかよ)



「マッカーサーの呪い」

 昭和二十年八月二十九日、厚木飛行場に降り立った連合国最高司令長官ダグラス・マッカーサー元帥は、将校の着用する官給品である上下の戦闘服を着用していた。チノ・クロスと呼ばれる生地の、いわゆる木綿の上下であ る。で、このズボンが太かったのですね。
 綿パンを初めてしっかり日本人が目に焼き付けたのは、この時の写真によってである。その写真の元帥は丸腰であった。これは日本人の度肝を抜いた。マッカーサー一流の演出であったが、そんなこと当時の日本人にはわからない。
 あまつさえ元帥はこれで昭和天皇にも会った。一方の天皇陛下は礼装、しかしマッカーサーは略装とも言うべき戦闘服姿。これも新聞の第一面を飾り、日本国民は敗戦がどういうものであるかを肌で知った。
 それはとにかく、マッカーサー元帥のズボンは太かった。元帥は180センチに少し足りないくらいの身長だろうが、ズボンの裾幅は30センチくらいあったのではないか。
 で、人々はそれが綿パンの適正な裾幅であると認知したのである。これをマッカーサーの呪い、と呼ぶ。(再び、ホントかよ)
 それはバランス上、如何にも太すぎるのである。適正なサイズは25センチくらいではないか。結果として、綿パンの裾幅は見た目に太いものと相場が決まり、腰から太腿を経てズドンと裾まで、まるで袴のようにゆったりしたものに、決まってしまったのである。
 これも、着る側にある程度身長があれば、まだ見られる。そう、例えばグレゴリー・ペックみたいに。ペックは映画「仁川」(インチョン)でマッカーサーに扮したが、写真で伝わっている通りの格好をしていた。そしてそれはそれで、似合っていた。190センチ近い身長があるからね。ところが日本人の、それも170センチ以下の男たちがそういう太い裾幅のを穿くと、いかにも鈍重に、かったるいものに見えるのですね。これはバランスの問題なのだが、メーカーは一向に変えようとしなかった。マッカーサーの呪いである。
 かつて今上天皇が皇太子の時代に「殿下、ズボンの幅が広すぎます」と雑誌に書かれたことがあった。婦人誌だった。相手は皇太子殿下のズボンである。皇室御用の飛び切りのテーラーが仕立てはずのズボンが、ものすごく太くて、これではちょっと、と記者かファッション評論家が、ご注意申し上げたのだ。
 皇室の記事をファッション絡みで書くのは当時として勇気が要ったことだろう。だからインパクトがあった。少年にも衝撃的に響いた。だからその見出しを覚えている。
 それから一気に話が今日に飛ぶが、どうも日本のアパレル関係者はズボンの裾幅に無関心すぎる。バランスを考えると、例えば身長が165センチくらいなら裾幅は24センチくらい、これが適正値だろう。
 六十年代のアイビー・ブームの頃、綿パンの幅は小さくなったのだが、当時のパイプ・ステムという発想は全体をストンと細くしてしまい、明治時代の人力車の車夫の穿くパッチのようになってしまっていた。
 現在では女子のジーンズが、こういうウルトラ・スリムとして人気を博しているようだが、これはちょっと違うのである。物には程がある。
 そして、ここからが重要だが、現在の量販店では、この辺りのサイズの妙にセンスを働かせ、美脚タイプというのを用意しているのだ。
 つまり、腰から太腿までをゆったりさせ、太腿から裾にかけてを、ややスリムにする。こうすることで、そう、ちょうど乗馬ズボンのように、あれほど極端ではないが、脚がすっきり見えるように仕立てている。よく考えたものである。
 腰からストンと裾まで、ほんの僅かのシェイプしかさせない昔の太い綿パンと美脚タイプを重ねて比べると、そのシェイプの具合の良さに、にんまりする。頭のいい人間は何処にもいる、と感心する。つまり、お腹が少し出た、決して身長に恵まれたといえない、さらには定年を迎えた男たちに、こういうアイテムを用意して、喜ばせているのだ。そしてそれを量販店がやっているというのが、ミソである。だって、誂えてこれをやるなら、だれも感心しないだろう。カネあるからなアイツ、である。
 それにしても、美脚タイプとは泣かせるネーミングではありませんか。泣き所を知っている。ちょっとシェイプの仕方とスタイルをいじっただけで、これまで綿パンに拒否反応を示していた連中を取り込もうというのだ、エライ。(ウールのもある)
 男のスタイルの要諦はズボンにこそある、というテーゼに従うなら、以上に記した美脚タイプの登場は、まことに歓迎すべきことであろう。
 ズボンに限らず衣類というものは、十分に着こんで身に馴染ませ、肌が覚えるまで着続けないと、その本領はわからない。身体が一体感を覚えるまで、着込む必要があるのだ。そこでは価格の多寡は問題でない。
 これは、誂えた洋服が必ずしも身にフィットするとは限らないというのに繋がる。
 何十年も決まった一軒のテーラーで、何着もこさえていても、それが完全に自分のものになっていると実感できる人は、実は少ないのだ。
 それは、人が黙って立っているだけではなく、衣類をまとって動く存在だからである。テーラーの人体に着せた時にはパーフェクトでも、それが左右上下に動いたら、バランスは崩れてしまう。何万回の動作に耐えて、本来のシェイプを保つ衣類こそ、完全なるものと呼ばれるべきで、これは、じっとしていてはわからないのである。
 さらには相性というものの存在がある。
 カンタンにダンディになってやろう、との考えで本書をお読みの方には実に申し訳ないのだが、着こなしの良否は衣類との相性を抜きにして考えられない。そしてそれは一朝一夕には叶えられない。どんなに詳しくセオリーを説いても、当該衣料と相性が良くなければ、着こなし上手とは呼んでもらえないのだ。
 ただ相性を確かなものにする方法はある。
 それは、とにかく様々なブランドやショップに当たり、買い込んで、着まくることである。そうすることで、自分に合ったブランドが見つかる。
 で結局、消極的な意味でだが、皆さんこれを行っているのですね。最後はこれに落ち着いたよと、自分にふさわしいブランドを、熟年すなわちあなた方であるが、感慨を漏らす方がいるのがそれだ。幸せな人、と呼ぶべきであろう。
 量販店の存在は、この考え方を進める上に、ひじょうに頼もしいものである。だって安いからね。そしてどこにでもある。これがもしも、名のあるメンズ・ショップで、あれもこれもと買い求めていたら結構な金額になるだろう。しかし量販店であれば、負担はかなり軽減される。
 気長にのんびり、楽しみとして、ズボンやシャツを買い求める。月に一回か二回くらいの頻度で。こうやって、その着心地とサイズの良し悪しを確かめるのだ。
 通常の、LやM、Sの表示だけでなく、細かなセンチ単位のサイズの違いを確認しながら、着比べる。あの店の82センチのズボンが、この店の82センチとは結構違っていたりするのを、こうやって確認する。裾幅が24センチでも、A店とB店ではこんなに違う、というようなことが、これで判明する。
 量販店のセール向けの棚には、格安の、それこそ千円単位の値段のズボンを売っていたりするから、これは費用の面でも難しいことではあるまい。ちなみに裾の直し代は五百円くらいである。高いけど人件費だから仕方あるまい。これで食べている人もいるのだ。
 それはとにかく、こうすることで、シェイプすなわちスタイルの微妙な違いもわかるし、なによりブランドによってズボンひとつでもこれほどの違いがあるのかと、実感できるだろう。穿き心地、腰回りのフィット感、陰部とズボンの接地点の具合、などである。
 勿論ここでは奥方や、それに準じる女性たちの声も反映される。相手だってウチの人が格好良くなるためだもの、大いに手助けしてくれるに違いない。
 着心地とフィット感が、ここでは最重要課題である。見た目はそれに付いてくる。そう考える。自分で積極的に着心地が良いと感じられる物は、見た目でも優っているのだ。実感とはそういうものである。そしてこれは自信に繋がる。



「マックイーンの場合」

 スティーブ・マックイーンは175センチほどの、アメリカでも小柄に属するスターであった。「拳銃無宿」というテレビ・シリーズでデビューし、それを見たユル・ブリンアーによってジョン・スタージェス監督の「荒野の七人」1962年制作、に起用(抜擢と言うべきかもしれない)され、ブレイクし、スターになった。
 デビューから、五十歳という若さで亡くなるまで、その全行程を日本の我々団塊の世代はつぶさに見ている。
こういう俳優は実は少ない。 
 ゲーリー・クーパーとかケーリー・グラントなど、古いハリウッド・スターの最初の頃を我々は知らない。
比較的若い連中、例えばロバート・レッドフォードやロバート・デ・ニーロは、まだ生きている。
 それはとにかく、マックイーンも出始めの頃はスタイルが良くなかった。(ホントかよ)さして脚が長くないし、体つきも、どちらかといえば貧弱であった。
 デビュー当時の写真を「スクリーン」や「映画の友」といった映画ファン雑誌で我々は見ている。
 だから記憶に焼き付いている。
 同期といった存在の、丈高くがっしりしたクリント・イーストウッドと比べると、その差は一目瞭然。スティーブ・マックイーンは、良く言っても中肉中背、大負けにまけても、普通のスタイルの、ハリウッド・スターだったのである。
 ところが中期以降、俄然スタイリッシュになる。「ブリット」がその変換点だった。
 記憶だけで書くのではない。テレビのスター時代から「ブリット」の直前までを捉えた、ウィリアム・クラクストンによる写真集(洋書)で、それは現在明らかである。
 彼の初期から中期に渡るその写真集を見ると、自分の肉体の何処が弱点で、どうすれば格好良く映るかをマックイーンが真剣に考えていた様子が見て取れる。
 「俺の脚は真っ直ぐだが決して長くない。写真は嘘をつかない。どうすりゃいいんだ」
 で、弱点である細い腰の周りを筋肉で補強し、胸からストンと腰そして脚を、滑らかなラインで繋げたらどうかと考えた。
 「腰が細いと、脚の長くないことが強調されてしまう。幸いに、細く真っ直ぐな脚だから、頑丈なボディに直結させることで、脚がそのままスラッと伸びているように見せることができそうだ」
 で、そういう工夫、というか努力をしたのである。
 今日のメンズ・ファッション界の位置づけで「ブリット」のマックイーンのスタイルは、文字通り教科書的な扱いとなっている。1968年制作。監督は英国から来たピーター・イエーツ。
 これがパーフェクト、なのである。
 そこには屈強なボディをトラディショナルな服装で包む、サン・フランシスコ警察の孤高な刑事のスタイリッシュな姿がある。
 上記の欠点を大いにカバーして余りある、厚めのコートとツイードのジャケット。両者によって、よく鍛えた分厚いボディを強調する。すらりと伸びた(ように見える)脚は、チャッカ―・ブーツでまとめた。
 正に完璧で、これは今も十分通用する。夏は暑くて無理だけど。
 さてここで我々がスティーブ・マックイーンに学ぶのは、その体型と衣料のマッチングのさせ方、折り合いのつけ方である。
 誰もがケーリー・グラントのようなスタイルを有しているのではない。これは常識以前のこと。だが、なんとかそれに近づけたいのが人情であり、本音だ。本書の目的もそこにある。そして年齢的には後期の高齢者に差し掛かった定年前後の男たち、それが対象だ。
 であるならここは大いに積極的に、マックイーンが行った衣料と自己の体系との折り合いのつけ方を、学ぶべきだろう。
 男の衣類の要諦はズボンにあると書いた。そして皆様各人各様に試行錯誤を行っている。そして最近は美脚タイプというものがあり、なんとか真っ当なスタイルに見せてくれそうだと知った。
 だがそこには、タイトでない腰回りという厄介な問題が横たわっている。背広の時はカモフラージュしてくれていたものを、それ無しでどうカバーするか、問題はこれだ。
 健康雑誌ではないから、いまさらエクササイズで腹を引っ込めろ、とは言えない。
 だからそのためには体型をカバーするズボンの選び方と着こなしを、ここで説く必要がある。
 そこまず基本その一。
 腰から脚に掛けてバランスを減らし、腰から上の比重を増すこと。マックイーンが行ったことと、その考えも、ここに集約される。上を重く、下を軽く、である。
 実はここには目の錯覚というものがあって、上が重いと、下は軽く見えるのである。
 そしてその二。
 可能な限り脚を真っ直ぐに見せる。これには美脚モデルが有効であると説いた。その上で裾幅を少なめにして、靴に繋ぐ。
 マックイーンが「ブリット」でチャッカ―・ブーツを履いたのが、ここで意味を持ってくる。裾幅を小さく見せる為には、靴が相対的に大きくなればいいからである。
 これも目の錯覚。小さなフットウェアよりも大きめのブーツの方が、その効果は明瞭である。
 がっしりした上体に、腰から下は目立たないようにまとめ、足元を強調する。このことで、その効果を上げる。

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