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背広の後に着るものークサオヤジ改良講座③  馬場啓一著

「アステア・スタイル」

 ところでズボンには、ベルトが付き物である。多くは革製だが、時にカジュアル・ユースとして布製も見られる。ダンスの神様フレッド・アステアは、ベルトの代わりにネクタイを締めて人々をあっと言わせたが、これは例外。
 ここでアステアについて書くと、熟年のお洒落のお手本としては、かのウィンザー公と並ぶベスト・ドレッサーであった。ワン・&・オンリーの存在、洒落者として定評のある人、と覚えておいていただきたい。
若い頃もあったはずだが、アステアには中年過ぎからのルックスの印象しかない。そういう珍しいキャラで、踊りの名手として鳴らし、ハリウッドの大スターとなった。主な活躍時期すなわち全盛時代は戦前で、筆者の父親たちの世代のスターであった。
 しかしそれにしても、今日残されている映画や写真で見るアステアは、まことにエレガントで、そしてここが凄いのだが、サラリーマン時代というのが想像できない、根っから高等遊民のキャラクターなのである。
 悪く言えば正体不明の遊び人、映画でも、どうやって生計を立てているのかわからない役柄が多い。しかしいつもパリッとしている。
 これって、定年後の男のライフ・スタイルとして最高ではありませんか。ちなみに晩年に出演した「タワリング・インフェルノ」では詐欺師。これはちょっと参考にしにくい。
 さらに書くなら、薄くなったオツムも、そっちの傾向の向きには心強い。あんなに薄い髪でもオードリー・ヘップバーンと恋を語れるのだからエライもんです。「パリの恋人」である。
 ここではリチャード・アベドンとおぼしき写真家をなぞっての役だった。ファッション雑誌ヴォーグのお抱えというカッコいい得な役柄。カジュアルな服装が、どの場面でも本書のモデルになりそうな水際立ったものとして、印象に残っている。
 さらにさらに書くなら、瓢箪型のその顔立ち。これもまことに不思議なもので、近くにこういう人が住んでいたら、ちょっと引いてしまうと思う。
 ところが、踊りで鍛え、舞台や撮影所で身に着けたエレガントな一足一投、これが目茶目茶ダンディで、素晴らしいのだ。踊る人にはオカマ系も多いのだが、そういう傾向は微塵もなく、さっぱりとした男らしさを感じさせる。残念ながら日本人には到達できない水準のダンディズムを身に着けた人物だった。
 本人は、手が大きいことで気に病んでいたというが、手足が長いから、そうなるのである。筆者の数少ないお宝はアステア直筆のサインのある著書「ステップ・イン・タイム」1959年刊、本邦未訳の自伝である。
それはとにかく、話はベルトであった。
 ベルトの要諦は、ここでも矢張りサイズで、長すぎたり短すぎたりしてはいけない。ズボンの最初のループを数センチ超えるくらいの長さが適正と覚えておく。長いのは背中まで回るくらいのを締めている人がいるが、落第である。腹の前で終わっているような短過ぎるのも駄目。
 そして黒い靴には靴と同じ黒を、茶色には同じのを、というのを心掛ける。
 だから最低二本は必要であるが、カジュアルの場合とか予備ということも考えると、五本はあった方が宜しい。 こんな人がと、意外と古いのを締めているのを見かけることがあるが、いけません。鞄と同様、革の古くなったのは、ひじょうに目立ち、みすぼらしく、かつ見苦しい。
 そしてサラリーマン時代の黒い、いかにも勤め人風のベルトは、やめよう。捨てなくてもいいが、背広にしか似合わないベルトがあるのだ。
 迷ったら茶色のベルトを選ぶこと。まずこれなら、サラリーマンは選ばない。
 だってアナタ、茶色の靴は持っていないでしょう。サラリーマンで茶の革靴を履いている人はまことに少ないのである。だからこれに合わせようという茶色のベルトは、現役時代に使用していた人は少ないはず。だが定年になったら堂々と茶色のベルトが締められるのだ。別に嬉しくもないだろうが。
 ベルト選び、その基準は何か。
 ベルトの選び方は簡単。地味で素直なのを選ぶこと。不思議なことに、こういうのが結構根が張るのだ。だが安心されたい。量販店の出番はこういうところで、今日流行中のメッシュすなわち娘のお下げ髪みたいな、編んだ革のベルトを、求めやすい価格で用意している。このメッシュ・ベルトを黒と茶の二色揃えていれば、当座は十分しのげる。ちょっと改まった時には捨てずにいたサラリーマン時代の黒いので大丈夫。
 こう考えると定年ダンディとは、固い一方の背広を脱ぎ捨て、カジュアル・ルックを如何に自分のものにするかだと、気づく。そうなのだ、ガチガチの背広スタイルからカジュアル・ウェアにソフト・ランディングすること、これこそが、定年後のスタイルを格好良くする秘訣なのである。
 ついでに書くと靴、ベルトが茶色なら腕時計のベルトも茶色にしてみる。これだと、如何にもお洒落である。
 こんなことサラリーマン時代には考えもしなったでありましょうが、女性とはこういうことに憂き身をやつしている種族なのですね。だからお洒落とは暇つぶしであると同時に、まさに女のイノチ。
 で、定年過ぎたら、そういう女性の性情に心を向けて上げるのも、一興ではないか。



「ジーンズと付き合う」

 ジーンズ、ジーパン、どちらでもいいのだが、今や世界的な衣料と呼んでいい。因みに世界のアパレル業界で最高の売り上げを誇るのはリーバイ・ストラウス社、そうリーバイスの会社だとされている。もっとも現時点ではラルフ・ローレンかもしれない。
 それはとにかくリーバイスを始めとするジーンズ各社の製品は全世界を席巻し、地球規模の衣料として定着した。リーバイスの名品#501は、ジッパー開閉ではなくボタン・フロントの前世紀的アイテムだが、ニューヨーク近代美術館の永久保存品となっている。
 ジーンズの存在感で有名なのは「大いなる西部」という1958年制作の西部劇。監督はウィリアム・ワイラーで、グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンが出演した。
 ここでは東部から来たペックと、牧童頭のヘストンが拮抗する。粗末な小屋に寝起きするヘストンが朝起きるとき、寝る前に吊るしておいたジーンズを、バリバリという音をさせて穿くのだ。
 いまだに語り草になっているのが、この時のバリバリという音。ジーンズは干しておくと、次に穿く時、こういう音を立てるというのを、当時まだジーンズに触れたことのなかった少年は、覚えたのである。
 ま、こういうことを挙げても意味がないのだが、定年世代にとってジーンズは敵か味方か、我々と折り合えるのか、どうかである。
 答えはイエスで、これには相性の問題が絡んでくる。つまりメーカーや型番によって体型にフィットするしないが、生じるのだ。
 これは仕方がないことで、それはジーンズが体型をかなり忠実にトレースするアイテムだから。欠点を覆い隠してくれる他のアイテムとの最大の違いがここにある。
 すなわちカッコ良い人の体型は益々カッコ良く、そうでない人の体型は欠点が無残に強調され、カタチに表れてしまうのだ。
 それでは定年世代には無理ではないかと思うのは当然だが、ここに味方であるとして登場させるのは、それ相当の理由がある。すなわち、丹念に探せば、似合うブランドと型式が見つかるのである。
 男性ファッション誌は年に何度かはジーンズの特集を行う。型式が決まっているのだから、しょっちゅう紹介されても意味がなさそうに思えるが、そうではないのだ。体型別に似合うアイテム、フィットする型式やメーカーが、かなり広範囲に存在するからである。 
 つまりは、定年世代にもなんとか似合うジーンズが、そこには有りそうなのである。言うところのワイド・セレクションである。
 それに絡んで来るのが例の相性というやつ。
 面白いもので、量販店ではジーンズは扱わない。これって不思議ですね。いわゆる上着やシャツ、ズボンを扱う量販店は、ジーンズ・ショップとの住み分けが行われている。これはまことに興味深いことであるが、事実だ。
例えばスーパーの店内に、衣料品コーナーとして紳士物を扱う店があっても、ジーンズ・ショップはそれらとは別に、独立して存在する。イトー・ヨーカドーでもダイエーでも、両者は分かれている。
 これは、アイテムとしてその性格の差異を考えると、まことに暗示的で、ジーンズはだから衣料品ではなく、ジーンズという別の代物であると考えている。
 そう、ジーンズはジーンズという、一種の道具と考えた方がいい。だからサイズの測り方も異なるし、裾の上げ方も違う。つまりはジーンズという、衣料品に良く似た代物であると、いうことなのだ。
 ジーンズの世界には多くのメーカーやブランドが存在し、夫々にサイズやシェイプを揃えている。我々は店員に確かめながら体型とサイズを告げ、当該アイテムをチョイスしてもらう。そこには衣料品の色やカタチを見比べながら楽しく選ぶ、というプロセスは存在しない。なにしろ色はブルーと、赤、白、黒しかないのだから。これとてブランドによって揃わないところもある。
 サイズは今もインチ刻みで、普通の衣料品のようなセンチによる表示はない。勿論LMSといった区分けもない。試着してサイズが合えば、その場で裾を合わせてもらい、出来上がる。これで一丁上がりである。
 店員は客の体型やサイズで、経験的に似合うものとそうでないものを選り分けられることになっている。そうでない場合は、自分でそれを行う羽目になるが、上記のようにジーンズしか売っていないのだから、まず殆どの場合店員は、在庫アイテムの性格と傾向には精通している。
 そして、ウチのアイテムではお客さんにフィットするのはこれだが、よそにはまた異なるサイズやスタイルがあるということも、教えてくれる。エライものである。衣料品店というよりホーム・センターに近いノリ、それがジーンズ・ショップである。
 定年世代にとってジーンズ・ショップは、だから苦手な範疇に入るだろう。ちょっとファスト・フード店にも似ている。だが、これはアメリカの軍隊の補給廠に則ったものだと理解すれば合点がいく。そうなのだ、大量の商品を大量の顧客に配する時のノウ・ハウ。これはアメリカの軍隊式やり方が最も効率的なのである。ジーンズはだから、軍隊における銃とか携行食料と同じ次元にある。
 こういうシステムというか思考に支えられていることを理解して、我々はジーンズ・ショップと向き合わなくてはならない。だが安心されたい。ジーンズなんて、そんなに大したものではない。自分に合わないと思えば、付き合わなければよいのだ。ジーンズがなくても十分生きていけるのだ。



「ニューヨークの刑事御用達」

 苦労した甲斐があり、自分にあったジーンズが手に入ったとする。これには試行錯誤の長い時間や、思わぬ出費が掛かるかもしれない。何故なら前述のように量販店ではジーンズを扱っていないからね。
 ま、それはとにかく、定年世代のジーンズの着こなしは、ここでもやはりボディ部分を重く、腰より下のジーンズと靴はあっさり、というセオリーに拠る。 
 またジーンズは通年商品だが、それでも生地のデニムには薄手と厚手があり、季節によって着分けることも知っておく。
 海外ことにニューヨークなどは乱暴な街だから、そういう芸の細かいところは薬にしたくてもない。だが高温多湿の日本の夏には、それに適した薄手のジーンズを選ぶべき。
 コーディネーションはブルーのブレザーに決まり。夏以外はフラノや、気取りたい向きはカシミアの、シングルのを合わせる。
 下は白いボタン・ダウン・シャツか、Tシャツ。これで、どこへも行けるし、誰にでも会える。
 そういう意味でジーンズは万能なアイテムで、定年世代にジーンズを勧める理由は、一に掛かってここにある。
 すっきりと似合ったブルー・ジーンズにブルー・ブレザー、下は白いボタン・ダウン・シャツ。これを通年で着こなしたら、それはそれで相当にお洒落上級者である。
 つまり、あの人はいつもあのスタイルね、素敵よ、似合っているわ、である。
 そしてこれはニューヨークの刑事(デカ)が行っている着こなし。ハリウッド映画で証明済みだ。レイ・リオッタとかヴィンセント・ドノフォリオなどというイタリア系の役者が刑事に扮し、こういう格好で登場する。アイリッシュ系とかは背広で通すのだが、イタリア系は、こういうのが好きなようだ。汚れが目立たないからかもしれない。
 ジーンズとブルー・ブレザーというのは、このマッチングを一つの額縁と考えると、応用範囲が無限に近くあることに気付く。
 手っ取り早く春夏はTシャツで決まるし、マドラス・チェックのボタン・ダウン・シャツをTシャツの上に着込んでいれば、そこそこお洒落なオケイジョンにも対応できる。
 ちなみに足元もスニーカーからローファー、チャッカー・ブーツと、なんでも有りだ。目立たなくすることをお忘れなく。
 ただし別の考え方もある。スニーカーやローファーに、黄色や赤など派手な色のソックスを合わせると、これは不思議、嫌にお洒落な感じになる。
 ブルーとブルーの組み合わせが地味。だからアクセントとしてカラフルな小物をあしらうと、これが大層収まりが良いのである。定年世代も、こういうお洒落センスで生活を楽しんでもらいたい。
 ジーンズの裾も、決まりきったストレートだけでなく、折り返したり、ブーツ・カットと呼ばれるブーツ用の斜めカットが選べる。折り返しだって幅の変化で、色々な表情が楽しめる。一センチ、二センチ、三センチ、それぞれ気分が変わるのだ。
 ただ定年世代としては、あまりここを目立たせるのは得策ではないかもしれぬ。そのあたりは、各自のテイストに任せよう。
 それから書き忘れたが、これって奥方にも応用可能。そして奥方の愛用が進むと、ここはリッチにジーンズにカシミアを奮発したいわね、などとミセスは言うかもしれない。
 このペア・ルックは割合に嫌みのないものとして受け止めてもらえるようだ。
 つまりブルー・ブレザーの種類が相当に豊富ということから、アイテムの組み合わせが増える。これはジャケットの章で述べるが、前述のフラノやカシミア以外に、薄手のウーステッド、麻、シルク、コットンと実に多様である。紺ブレという言葉があるように、この世界はまことに広く、深い。
 最後にベルトをどうするかだが、原則的にベルトなしが定番。ジーンズの持つ重ったるさが、ベルトで加速されてしまうようなところがあるからだ。定年世代のセオリーからしても、腰は目立たないようにするのが利口だ。
勿論これも好き好きだから、がっしりしたベルトで決めたい、という向きもあるだろう。それはそれで宜しい。ただブルー・ブレザーでボタンをしてしまうと、表からは見えないのも事実。なくても判らないのなら、わざわざ締めることもない、ということになる。
 なにしろジーンズである、腰にも太腿にも脚にもフィットしている。だからベルトなしでも金輪際ずり落ちるようなことはないのである。

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