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背広の後に着るものークサオヤジ改良講座④  馬場啓一著

「ジャケットの神髄」

 男の服飾の基本として、ズボンと、上着と、シャツが挙げられる。中で上着は、背広の上着とは異なり、様々なバリエーションが存在する。
 これはお洒落好きには大いに楽しめるところであるが、一方でそのワイド・セレクションぶりが、そういう方面に疎い人々の頭を悩ます結果ともなっている。何故なら背広であれば紺やグレイの生地を選べば、それで出来上がりだ。あとは白いシャツに適当なネクタイを当てがえば、これで事足れると、至極容易であった。
 ところが上着の場合だと、こうはいかない。一筋縄ではいかないのだ。先にズボンを決め、上着に移るにせよ、その逆で行くにせよ、ここには組み合わせという難題が、立ちはだかることになるからである。
 この組み合わせこそが世に言うコーディネートである。若い女性たちが縮めてコーデと呼んでいる、あれだ。
 コーデと気安く呼び習わしている割には、これが彼女たちにとっても至極大変なことであるのは、ファッション誌が毎号のようにコーデの特集を組んでいることからも判る。いわく「コーデの達人。着回し上手になる10の秘訣」といった具合だね。
 通勤のため彼女たちは日夜、勤め先に何を着ていけばいいのか、すなわちどう組み合わせて目新しさを出すのか、それに心を砕いているのだ。頭を悩ましているのね。
 そういう意味で男たちのコーデなるものは、実にカンタン至極であった。数着の背広を着回し、それに洗いの効いた白いシャツを着け、適当なネクタイを選べばよかったのであるから。そしてこういう波風の立たない環境にいたことが、男たちを服飾オンチの状態に陥いらせてしまう結果を生んだのだ。
 むべなるかな、である。
 しかし定年という状況が、これまで安穏だった男たちから平静を奪う。
 背広が着られなくなるからである。
 ズボンの章でも繰り返し書いたが、定年とは明日から一体何を着ればよいのか、自分でそれを考えることを余儀なくされる、そういう厳しい状態を指す言葉なのである。
 さあ大変だ、であります。
 かくかくしかじかとズボンの選び方を学んだ上は、今度はジャケット選びに取り掛かることになる。だがまずは、ズボンの選定を先に済ませてしまおう。
 すなわち綿パンか、ウールの黒いズボンか、はたまたジーンズか、である。そう、これしかないのだ。だからカンタン、そう思ってほしい。
 女性たちが、まずスカートかパンツかという一大選択を行い、次に、スカートならフレアしたのかタイトなのか、短いのか長いのか中くらいか、と止め処なく遭遇するイエス・オア・ノーを潜り抜け、ようやく一つの選択を行うことに比べたら、僅かに三種からチョイスすれば済む男たちは、なんと恵まれていることだろう。バーの数がうんと少ない。もっとも彼女たちにとり、朝のコーデ・タイムは、女として生きていることの証明みたいなものだから、同情することはないのだけれど。
 とにかく、男は三つの中から適当にその日の気分で選び、それをスタート・ラインにコーデを完成させていくのである。
 例えばここで、黒いウールの、比較的高級なズボンを選んだとする。裾はダブルで、勿論美脚タイプ。
すると、どのようなコーデが考えられるのか。
 サラリーマン時代からウイーク・エンドには大人のお洒落を楽しんでいたという上級者なら、ここから先は有らずもがな、であろう。語るまでもない、である。彼らはたちどころに、上着もシャツも靴さえも、さっさと決めてしまえることだろう。そしてそれをどこかで楽しんでいる風にさえ見える。
 だが世の中は広い。この世には、そういう達人ばかりが住んでいるわけではないのですね。コーデという言葉だけで怖気をふるってしまう人がいるのだ。背広だけ着ていればよし、と信じ込んで生きてきたのであるから仕方ないだろう。
 本書は、まさにそういう人のためのガイド・ブックであります。
 大体こういう背広オンリーの人々は、当然ストックすなわち手持ちの衣料も、ごく限られている。これが現状である。碌にワードローブなんか揃っていない。ちなみにワードローブとは洋服ダンスのこと。転じて手持ちの洋服ストックの総称である。ここではそういう背広一途だった方々にスポットを当てて、話を進める。
 ところで黒いウールのズボンは、それまでの背広と近いニュアンスを持っている。つまり身近な存在だ。ダブルだし。白いシャツに黒いベルト、それに黒い靴と靴下を合わせれば、これはサラリーマン時代に黒い背広の上着を脱いだ時と酷似しているのに思い当たる。
 だからこれに背広の上着ではなく、ブルーのフラノのブレザーを合わせれば、立派なウィーク・エンド・スタイルの出来上がりだ。シャツがボタン・ダウン・シャツであるなら、もうこれ以上付け加えることはありません。
次には黒いウールのズボンをグレイや濃い茶やグリーンに変えることも思いつくことになるだろう。ブルー・ブレザーは万能に近いことに気付くのだ。
 実はファッションというのは、どこかで尻取りに似ている。次から次に、スタイルやアイテムを繋げていくことで世界が広がるからだ。ブレザーでズボンの色のバリエーションを学んだなら、次にはブレザーをシングルからダブルに変えてみる。これが尻取りである。ダブルのブルー・ブレザーはシングルより改まった感じで、シャツやネクタイをバージョン・アップすることで、フォーマルな場所にも着ていける。例えば友人の息子や娘の結婚式などであるが、それはまた別の話。ここではブレザーを変えることで、ズボンが着まわせることに留意されたい。
 念のために書くと、ブレザーはカジュアルでも少し固い場面でも、実にもう両方大丈夫だということ。これが、背広オンリーだった方々には、発想として取り入れ易いのではないか。つまり、くだけ過ぎていないこと、に対する安心感である。
 急に遊び人風な格好になることには抵抗ある人もいるのだ。だからシングルのブルー・ブレザーで、いわばポスト背広の肩慣らしする、こう考えてみればいいのだ。紺というまことにもっともらしい色が、ここでは大いに安心感に繋がっている。
 ブルー・ブレザーは間口の広いアイテムで、学生の制服に取り入れられていることからも判るように、大昔の軍服の流れをくんでいる。金のボタンも、その名残だ。
 そもそもは真紅が本流で、ブレザーすなわちブレイズ(燃える)が語源である。オリジナルは燃えるような真紅だったのだ。英国のヨーマンとかビーフ・イーターとか呼ばれる衛士の着ている真っ赤な制服も、その親戚であろう。例の熊の革の黒い帽子を被った連中のだ。
 ブルーに落ち着いたのは、やはりこの色が最も当たり前で、万人向きだったからだと考える。世界的な傾向だがこれは日本人にとってもそうで、アイビー・ブームの頃に一挙に広がり、定着した。日本的な紺ブレ、という呼び方でも知られる。
 紺ブレつまりブルー・ブレザーだけで、その生地のバリエーションはいくつも揃えるとして、生活のすべてをこれで押し通すことも可能である。ブルー・ブレザー・マンと呼ばれる人たちである。
 メンズ・ショップでも、背広を除けば最も数多く品揃えしてあるのがブルー・ブレザーだろう。カタチが決まっているから、生地と縫製で価格は幾らでも変えられる。事実、何十万もするブルー・ブレザーがある一方で一万円を着る定価のものも、量販店には用意されている。
 さらには通年対応、これがブルー・ブレザーの強みで、一年を通して着られるのだ。ジーンズのところで紹介したように下に着るものを変えることで、これが可能である。生地を秋冬向きのものと、春夏向きに変えることでも季節の対応を操作できる。万能選手である。
 上等の黒のズボンに、これまた上等のブルー・ブレザーという組み合わせは、だから背広しか知らないで来た向きにも、大いに受け入れられるものと信じる。ほとんど背広の代用として使えるほど、もっともらしいからだ。事実ビジネス・ユースとしてブルー・ブレザーを用いる男たちもいる。
 一般的な素材はフラノである。厚手の生地でウールの素材と木綿のものがある。当たり前だがウール素材の方が高級とされる。
 薄手のウールのブルー・ブレザーはドレッシーかつエレガントで、気分としては英国エジンバラ公という感じのものである。エリザベス女王の御夫君である。
 英国王室はプリンス・オブ・ウェールズすなわちチャールス皇太子も、最近第二子を設けられたご子息のウイリアム王子も、ブルー・ブレザー御着用の写真をしばしばお見受けする。対して本邦では皇室の方々がブルー・ブレザーをお召しになる機会は、ひじょうに稀である。これはまことに興味深い。なにかそれを妨げる不文律でもあるのだろうか。
 それはとにかく、秋冬メインのフラノと、春夏用の薄手のウーステッドのブルー・ブレザーを揃えておけば、ややあらたまったオケイジョンに十分対応できる。例えば銀座に買い物に行く時などが、それに当たる。
 何度も書くが、生地と縫製で価格が如何様にも変化する、というのがミソである。しかし定年世代には、飛び切りの値段のものは必要かどうか。各人のライフ・スタイルにお任せする。そしてこういう融通が利くのが、ブルー・ブレザーならでは、なのである。
中に着るものも、ブルー・ブレザーは選ばない。何でもあり、なのだ。ということは着る人のセンスが、そのまま抽出されるということだ。
しかし安心されたい。白のボタン・ダウン・シャツとローファーという、まるで学生時代みたいな組み合わせで、十分お洒落に見えるのである。むしろ余計なことをしない方が、素敵かもしれぬ。ブルーとい色がそういう気分を増幅させるのですね。世間ではジジイで通っている定年世代が、学生のようなブルー・ブレザーと白いシャツでローファーを素足で履く。目立ちますぞ、これは。
さらにさらに奥方と、ペアでこれをやったら評判になること請け合いです。若いですねと苦笑いされるだろう。

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